100円札の旅

ゆるく生きる

こんばんは、るす子です。

 

今日、仕事から帰ってきた父から、「これやる」と、昔の100円札(めちゃくちゃボロボロ)をもらいました。
いらんがな。

 

話を聞いてみると、絶賛断捨離中のお店の大家さんが、懐かしいものが出てきたからあげるわ、と大量に置いていったらしい。
で、たまたま居合わせた若い人やら、珍しそうに見ている人たちに配って、余った分を持ってきたらしく、わたしの手元には100円札が5枚。
いらんがな。

 

というか、既に持っているんですよわたしは。
亡き祖父からもらった100円札を。
たぶん、使おうと思えば使えるんだろうけど(お札を自動計算してくれるようなレジには通らないけど、通貨としての価値は変わっていないはず)まあ、つかわないし。

使い道がないけど、「もらったものだから」という理由でずっとクローゼットの中に眠ってる。
一応「祖父の思い出」みたいな感じで。
意味はちょっと違うけどまさに箪笥貯金。クローゼットだけど。

 

それがさらに5枚も増えてしまった。
これ、わたしは使わないのよ。
でもボロボロでも一応お金だし、1枚は祖父との思い出の品だし、わたしはこのまま死ぬまでたぶん眠らせるじゃないですか。
自分の箪笥貯金に、他人の箪笥貯金を足して、さらにさらに熟成させていく。600円だけど。

 

で、未来。
老いて死ぬ前の身辺整理とかその辺に発掘して、きっとなんか捨てるに捨てられなくて誰かに託してしまうかもしれない。
これ、昔の100円札よ、若い子は見たことないでしょ、あげるわ、なんつって。
もしくは、死後、遺品整理業者に発見されて、「お金なので」って依頼者に引き渡される。

こうしてずっとこの100円札は、なんかよくわからないまま、なんとなく「いらんがな…でも捨てられんがな…」みたいな感じで風化するまでこの世に有り続けるのかもしれない。

は~~~~~~~。
心底どうでもいいな。

 

いや、どうでもいいんですけど、いいんですけど。
なんか、このもやっとする気持ち。
他人のどうしようもなく捨てられないものを押し付けられてしまったけどわたしにも捨てられないし、かといってわざわざ換金にいくほどでもないみたいなそういう。
捨てられないものをまたひとつ抱えてしまったみたいなそういう(薄っぺらで場所もとらないけど)なんかそういう。

 

 

は~~~~~~~。
ほんと、心底どうでもいいなんかよくわからないもやっとしたものを引き継いでしまった。

忘れよう。
もう、わたしの死後、遺品整理してくれる未来の誰かに託します。この100円札6枚は。

 

 

心底どうでもいいことを書いてしまった。本当に。
今日はここまで。
フラフープはこれからします。

それでは、またあした。

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