『底』を見つけて悩むこと

ゆるく生きる

こんばんは、るす子です。

 

今日は久しぶりに友人とその子供と公園で遊びました。
わたしはイベントもなくなってかなり時間の自由が効きますが、子供が休校して自粛している時期に大人が「遊ぼうぜ」と声をかけるわけにはいかないじゃないですか。

で、友人は友人で、仕事がなくなったわたしがネット販売への切り替え作業などで忙しいんじゃないかと気遣って連絡しないでいてくれていたので、本当に久しぶり。
お天気も良かったので、子供の運動兼ねて公園へ。

 

……完全に、わたしの方が遊ばれてくたくたです。
帰ってから3時間昼寝しました。体力ないないマンです…。
あのねぇ、日頃運動不足のおばさんに、6歳児との鬼ごっこはきついからねぇ。
アキレス腱が切れなくて良かったよ…よぼよぼよ、もう。
6歳くんよ…わたしゃ、あなたの友達だけれど、あなたのお母さんと同じ年なんですよ…、と。

 

というわけで、寝起きの今はすこぶる元気です。

 

でも、公園で友人からはとても悲しい報告を受けてしまいました。
普段から「なんであんたのところだけそんな大変なことばっかり起こるん???」と言ってしまいたくなるくらい…いや、たぶん言ってるくらい、家族関係や仕事関係やあれやそれで苦労して悩んでいる友人なのですが、ここにきて上乗せがさらにひとつ。

抱えているものが多ければ多いほど、人との繋がりが多ければ多いほど、悩みは増えるし、大変なことは増えるし、苦労もたくさんあるんだと思います。

 

正直、相談を受けても、重すぎてまったくアドバイスができない。
聞くしかできない。

 

敢えて言えるとしたら、『底を見つけてから悩む』こと。これだけ。
妄想で悩まないこと。苦しくならないこと。

 

例えば「病気かもしれないな…」と思ったときに、まだそれが確定する前ってすごく不安が大きいじゃないですか。
「病気だった」という不安じゃなくて、「病気かもしれない…」という未知の不安。
該当する症状を調べて、妄想で末期ガンになって、妄想でもう死ぬ間際になってしまうことがあるじゃないですか。

人間だもの、もちろん気持ちはわかります。
わたしだって、何回『猫 寿命』で調べて泣いたか。お前…あと…○年……うぇっ……って。勝手に妄想で寿命を迎えさせるな。

 

色々なパターンを想定しておくことと、必要以上に推測で苦しくなることは別ものです。
まず、現状なにが起こっているのかを知ること。『底』を見つけること。
「大病かもしれない…」は底なし沼です。
「病名は○○です」という『底』をちゃんと見つけること。
そりゃあ悩むし、悲しいし、後悔もあるだろうけど、どうか底なし沼で苦しまないでほしい。

 

あとはね、『お手軽にしあわせになれるものを持つ』ですかね。
謎の水晶、謎の神像、とか、そういうのじゃなくね。

「アイスを食べる」とか「○○を集める」とか、そういう、あまり労力を使わないで摂取できて、確実に自分をしあわせにしてくれるものを見つけておくこと。
「この写真集を眺めてるときはしあわせだな」とか「この曲を聴くと元気が出るな」とか、そういうものでも。

いくら『底』があったって、沼に落ちてるときはつらいもの。
そこからちょっと這い上がれるような、顔を出せるようなものがあると、ちょっとね、楽になることがあるかもしれません。

 

日々を能天気に、のらりくらりと過ごしているわたしが書いても「お前…説得力~~」となるかもしれないんですが、実は死んだ母親が、底なし沼に沈みがちな人だったのです。
ずぶずぶすぎて苦しそうで、子供のときからわたしは「楽に生きたいなぁ」と思っていて、その結果が今なんだと思います。

 

 

とはいえ、友人からの悲しい報告はわたしにとっても悲しい報告だったので、昼寝して元気だけど今は悲しい気分です。
明日からはお天気もずっと崩れているようなので、友人がお天気に気持ちも引きずられませんように。

 

明日からは猫です。

それでは、またあした。

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