捨てられるもの、捨てられないもの

ゆるく生きる

こんばんは、るす子です。

 

このGW、各地で気温が上がっていますが、本当にあたたかくなってきたと感じているので本格的に衣替えをしなくてはならないかも。
そろそろ冬に着ていたトレーナーは暑くなってきた気がする。
GWも外出自粛の中、部屋の片付けや断捨離に勤しんでいる方は多いんじゃないでしょうか。
わたしも、少しやろうかなぁ。

 

前にも少し書きましたが、わたしはミニマリストに憧れているマキシマリストで、昔はかなり収集癖がありました。…いや、今もあるんだけど。
でも、昔は物を集めるだけ集めて貯めておく、という状態だったのが、最近は適度に使ったり処分したりもできるようになってきた気がする。

1シーズン着なかった服や、着古した感が出た服なんかはどんどん処分してしまう。
欲しくなったら、引きこもりの普段着なんて、ユニクロ様に行けば選び放題なので。
その勢いで、あれこれとまとめて処分をしたり。

 

資材や日用品のストックは溢れているので家には物が多いのですが、自分で購入したものや、自分に関わるものは少しずつ減らせるようになってきたかもしれない。
目標は、資材と日用品と今あるお気に入りのインテリア以外、『わたし個人の気持ちが入ったもの』をなくすこと。
いつ死んでも、差し障りのない感じにしたい。

 

この話をすると、友人にメンタルを心配されたりするのですが、そうではないのです。
違うの。暗い話ではなく。現実的に考えているのです。
わたしは今後も結婚するつもりはないので、自分のことはちゃんと自分でやっておかないといけないんですよね。
「死んだらあとは人まかせ」なんて父はよく言ってますが、それはわたしが居るからであって、わたしには任せられる人がいないので。そして人はいつ死ぬかわからん。

 

それでも、子供の頃から住んでいる家にはなかなかわたし個人の物だけでも多くって、小学生のときに集めていたシールとか、メモ帳とか、まだ後生大事にとってある。
永遠に見返さない卒業アルバム、始めて買ってもらったCD、友達と交換した鉛筆とか…あれもそれも。

とりわけ文房具が多いかも。子供って、文房具が好きよね。
そういうのから処分してしまえばいいのかもしれないけれど、仕事柄、わりと文房具は使う方なので、鉛筆もメモ帳もノートも、今はそのストックから使っています。

こんな風に、自分の思い出の品ならいいんですよね。使ったり、なんとなく折り合いをつけて処分したりできるので。
でも、他人のものは、どうしたって処分できない。

 

たとえば写真。
もう見返すことはないのに、ひとつ棚を占領している昔の写真が捨てられない。
母が撮りためた子供の成長記録は、写っているのがほぼ自分であるにも関わらず、『母のもの』という意識が強すぎて捨てられない。

母の大事にしていた洋服や、ブランド物のバッグもそう。
普段着なんかは死んで3年後に思い切って父とすべて処分をしたんですが、大事にしていた着物やスーツやバッグはそのまま。
「お前が使えばいいだろう」と父は言っていたんですが、わたしはブランド物には興味がないし、似合わない。
分不相応にも程があるというか、ブランド様に申し訳がない。わたしには無印のリュックが一番よ。

でも、だからって売れも譲れもしない。
それを『母が大事にしていた』という記憶がある限り、もう死んでしまっているのに、わたしに決定権がないように思ってしまうんだよなぁ。

 

…こういう思いを時折しているので、自分の『想い』みたいなのが残るものは極力残さずに死にたいと思ってしまうのです。
他の人は、家族の遺品整理ってどうしているのかしら。
私の周りには、まだその経験をした友人がいないので、あまり聞けずにいます。

 

実家を引き継いでいくって、物を引き継ぐことでもあるので、なかなか難しいこともありますね。
本当は、うっかり父より早死してまかり間違って遺影に使われないように卒業アルバムと成人式の写真も処分してしまいたいんですけど、…どちらも親がお金を出してくれたものなので、捨てられない。
は~~~~。気にしすぎかなぁ~~~~。

 

でも、衣替えのついでにまたいくつか私物を処分しようと思います。
不用品の処分って、すっきりして、結構気持ちがいいんですよね。

 

今日はここまで。
明日からはしばらくねこです。

それでは、またあした。

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